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●レポーター:上牧町在住 奈良ぼんちさん
授業当日は、空が高い、見事な秋晴れの日でした。
ちょうど紅葉の色づきが進んでいる頃で、緑・黄・赤、それぞれの葉の色が交じり合う景色を前に、なんて贅沢なときにここに来れたのだろうと感激したのを覚えています。
この日の授業では、先生の牧岡さんに庭をご案内していただきながら、依水園の特色を生かすよう、どのように庭を維持・管理されているのかというお話を伺いました。
水が流れ葉が揺れる音を耳で、植物に囲まれたところ特有のしっとりとした空気を肌で、目からだけではない自然を存分に感じながら歩いていると、庭も”自然と”この姿であるような錯覚をしてしまいます。
ですが、見る人に大変さを感じさせない、一つひとつの苦労や工夫の上に庭の景色が成り立っている。
そのことを実感させられるお話の数々で、教えていただいてなければ、何度通いつめたとしても気付けなかったかもしれない秘密がたくさんありました。
庭は生き物が相手なので、その土地の風土に合わせて、じっくり時間をかけて景色を守り、育てていく過程があるからこそ、よりその場所を美しくしているのですね。
また、依水園のことだけでなく、牧岡さんが外国で手がけられた日本庭園についても、写真つきでたくさんご紹介いただきました。
気候が日本とは大きく違うところばかりなので、やはり使える植物や石にも制限があるようですが、写真のなかのその景色はまさしく日本庭園で、海の向こうの遠く離れた土地で、私たちと同じように庭を楽しんでいる人たちの存在を知ることができました。
制限がある環境は一見不利なように思えますが、だからこそ工夫をこらしてできあがった庭は、枠から飛び越え、きっと新しい日本庭園の可能性を広げていると思います。
最後のほうに牧岡さんが、もし私たちのまわりに、地下足袋を履いた、いわゆる”職人”と呼ばれる仕事に就かれている方がいれば、そういった方々を応援するために、「豪華でなくても良いから、手作りのお弁当を持たせてあげて欲しい」とお話されていたのも、とても印象に残りました。
食べることを大事にする。
それは、難しくはないけれども、働くため、生きるための基本であること。
何十年もプロとして活躍されてきた方からの、その素朴な言葉は、今もじんわりと胸に響いています。
名勝とされる庭園を訪れると “ここだけ別世界のようだ”と思うことはありますが、依水園は、まわりから隔絶された空間ではなく、奈良の町の中にいることを強く感じる場所でした。
それは、そばにある東大寺や若草山が庭の景色に溶け込んでいるからというだけではなく、牧岡さんが、「洗練されすぎると奈良らしさが失われてしまうので、この庭もそうはしない」と語られていたことに繋がっているのだと思います。
私から見た依水園は、かしこまって正座をしながら眺めるというよりは、余計な力を抜いて体を伸ばしながら景色を楽しみたくなる場所です。
ここは、「ちょっとゆっくりしていきや」と手招きしてくれているような、憩いの庭だと思いました。
奈良の町のゆったりとした時間が、ここにも同じように流れています。
今回の授業を受けたことで、依水園はただ佇むことを楽しむだけではなく、その裏で尽力されている方々の存在を感じる、特別な庭になりました。
きっと私はここに来るたびに、牧岡さんのお話や、ひとまち大学の授業の光景を思い出すでしょう。
この日、庭を”感じること”と”知ること”の両方を、たくさん楽しませていただきました。
貴重な機会を与えていただき、ありがとうございました。