唐と日本をつないだ人

●レポーター:大阪市在住 まいけるさん

鑑真和上をもっと学びたいと思い参加しました。
2013年は、鑑真和上が亡くなって1250年、日本に来て1260年という年だそうです。
鑑真和上は、僧や尼になる際に重要な「授戒」という儀式を行える正式な僧侶が日本にいないと知り、日本に渡り仏法を広める決意をしました。
その当時、船で日本に渡るのは危険を伴うこと事でしたが、5度の渡航の失敗の後、6回目にしてようやく日本にたどり着きました。

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まず、今日の先生である唐招提寺執事の石田太一さんから、レジュメを見ながら鑑真和上が伝えたモノ・コト・ヒトについて教えてもらいました。
配られたレジュメには、いわゆる鑑真和上の伝記本にあたる『唐大和上東征伝』に記載された持ち物がズッシリ。
レジュメには第2回・第6回乗船時の持ち物が一部記載されていましたが、まず第2回目の乗船時の持ち物から。

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第2回目の持ち物は、現代の日本でも使用している味噌・かりん糖・煎餅などといった食べ物から、鑑真和上が授戒の際に使用する仏舎利・経典・法衣などが記載されていました。
その中に、「袈裟一千領、褊衫一千対、坐具一千介」とありました。
これはどういう意味を指すのかというと、「一千人分の僧を生み出す」という鑑真和上の思いがあったと石田さんは教えてくれました。
残念ながら、2回目の渡航は失敗に終わりました。

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第6回は、第2回の渡航計画時に比べ、乗船の持ち物が簡素化し、より重要なものに厳選されていってました。
私はこれらの乗船の荷物を見て、鑑真和上が「必ず日本に行くぞ」と日本渡航の目的を何ひとつ揺るぎない信念で挑んだのだなと感じました。
持ち物はより厳選されていましたが、全て、授戒を行い仏法を広めるために必要な持ち物ばかりでした。
5回失敗して更に渡航に挑むことは、容易いことではありません。
鑑真和上の固い決意を感じた気がしました。

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その後、唐招提寺境内を石田さんに引率してもらい見学。
金堂にいらっしゃる三尊の仏像の解説や、境内にあった鑑真和上がかつて住んでいた僧坊跡(残念ながら火災にて焼失)、鑑真和上の御身代わり像のお参りなどをしました。
講堂にいた四天王像は、鑑真和上が渡航した際に引き連れた渡来人仏師が制作したものと、その仏師に仕えた日本の弟子が制作したものがあり、師匠と弟子が制作した2体を比べることも出来ました。

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今回の授業では、鑑真和上が伝えたモノなどを学びました。
また更に、日本に仏法を広めようと行動した鑑真和上やお弟子さん、その当時関わった日本の人たちの、仏法によってつなぐ心みたいなものを知ることが出来ました。
そして、授業を受けた唐招提寺東室も普段入ることが出来ない場所なので、貴重な体験をしました。

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執事の石田さんの軽快なおしゃべりであっという間に時間が過ぎた、楽しい授業でした。
鑑真和上、そして唐招提寺が益々好きになりました。
ありがとうございました。