辺境でも中心でも、人は生きなければならない。

●レポーター:奈良市在住 ぎり さん

「南極・震災・農業」の3語が並ぶサブタイトル。
「アフリカ・阪神淡路・みかん山」と縁のある僕。
なんとなく強引に共通点を設定し、奈良ひとまち大学へ。
初参加です。

冒頭に参加者の自己紹介があり、南極に興味がある人、震災のことを考えたい人、農業の話を聴きたい人、それぞれの参加動機が明かされました。
僕は南極派。
『面白南極料理人』(西村淳 2004年 新潮文庫)を読んでいましたし、南極大陸の地下に未確認生物が支配する世界があるという設定の『地底世界』(J・ロリンズ 2015年 扶桑社)を読み終えたばかりだったのですから。

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ひそかに期待していた通り、岩野先生は南極話が中心。
氷の厚さ(最大4776m)や最低気温(-89.2℃)などのデータにはいちいち「やっぱり南極ってやつは・・・」と感心させられました。

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さらに、昭和基地は大陸ではなく離島にある、オゾンホールを発見したのは日本人、観測隊に帯同する海上自衛隊には南極で成人の日を迎える隊員が5~6人いる、少しでも荷物を減らしたいはずの辺境の暮らしなのに余暇を楽しむための仮装グッズがちゃんと置いてある、といった雑学もインプットすることができました。

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第42次・第48次南極観測隊で越冬した岩野先生は、南極に行きたいと立候補したわけではなく、2度とも偶然に導かれた南極越冬だったと言います。
僕は以前アフリカを旅したことがありますが、そのときは「よし、アフリカに行くで」と決心し、会社を辞めてから行きました。
個人的な放浪と国家レベルの観測隊を一緒に語るなと言われそうですが、私はこういうことをしてきましたと言えるネタが、とりわけ、誰もができるものではない経験の場合、とてもうらやましくなってしまいます。

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岩野先生がおっしゃるに、南極観測隊員は募集しても応募が少ないそうですし、南米大陸の南端から航路2日で行ける南極半島ツアーに参加して行くこともできますよとのこと。
南極行きを諦めてなるものかと勇気が湧いた直後、豪州と南極の間の海域は過酷な暴風圏であり、1週間ほど激しく、例えば観測隊員らを乗せた「しらせ」が最大53度も傾くくらい暴力的に揺さぶられることが判明し、船酔いでヨレヨレになる僕の野望ははかなく沈没したのであります。

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限られた人員、物資、設備の南極生活では八面六臂の活躍が求められます。
岩野先生のように地学が専門であっても、大工や電気・機械の整備など、たいていのことはチームワークを取りながらこなさなければなりません。
そうした経験は、東日本大震災の被災地に入り、例えば、米はあるのに、電気やガスの炊飯器を使わない炊き方がわからない人たちを頼りなさそうに見せてしまいます。
数世代前の人たちにできていたことなのに、と。
そして岩野先生は被災地を見渡して、当たり前に思える、ひとつの答えを再確認します。
「人は、生きなければならない」。

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授業はスライドを使って、飽きさせずに展開し、やがて時間オーバー。
農業の話題が割愛されてしまいましたが、南極観測隊の貴重な写真スライドを何枚も見ることができ、納得の授業でした。

で、授業タイトルにある「生きる力」とは?
環境への適応であり、人との協調であり、仕事、遊び、食べる、寝る、健康だと、僕はノートに書きつけていました。