奈良ひとまち大学

menu

詳細

歴史から考える奈良の鹿

●レポーター:奈良市在学 うめ さん

奈良で日常を過ごしていると、鹿は身近な存在であまり深く考えたことがなく、もっと知りたいと思ったので今回の授業に参加させていただきました。

野生の鹿は古代から生息していましたが、角が毎年生え変わり成長していくことを、「甦り」や「豊作祈願」の象徴として、弥生時代には霊獣視するようになりました。

歴史から考える奈良の鹿_2

鹿島神宮の神様が白鹿の背に乗り三笠山にやって来られたという説話もあるように、平安時代には奈良の鹿は神鹿として扱われていたことが分かります。
鹿を見ることは吉徴とされましたが、その反面、鹿を殺傷すると重罪人として処刑されることもあったようです。

特に印象深かったのが、三作石子詰め伝説。
三作が習字をしていたところに鹿がやって来て、草紙を食べてしまった。それを追い出そうと投げた文鎮が鹿に当たって死んでしまう。
当時、鹿を殺すことは大罪だったので、三作は生き埋めにされてしまった。これを悲しんだ母親がその塚の傍に紅葉の木を植えた。
そしてここから鹿と紅葉の組み合わせが生まれたとも言われます。こんな悲しい話があったなんて・・・。(興福寺の菩提院が三作の塚のある場所です。)

神鹿を政治的道具に用いた例として、戦国武将の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の名前も文献に見られます。
(信長:京都へ神鹿を運ぶ←重罪、秀吉:鹿を寄進する、家康:禁制の朱印状を発給する)
ほととぎすの句と同じように、三者三様で面白いなぁ。

ひとまちレポート 歴史から考える奈良の鹿

江戸時代になっても鹿に関する罰則はあったようですが、同時に観光資源としての鹿という一面が表れます。
鹿せんべいが売られ始める、南都八景の一つにも数えられるなど。

事故や食害の被害を防ぐため、1671年に角きりが始まりました。もともと奈良町で行なわれていたということで、町家の格子は鹿格子とも言われるそうです。
現在、角きりは鹿苑で行なわれていますが、私はまだ行ったことがないので来年こそぜひ・・・。

今回の授業は江戸時代までで終了。こうした歴史の上に、現在の人と鹿の共存関係が築かれているのですね。
鹿も大切に扱われたり、時には政治的に利用されたり大変だったんだ。今は三作のような罰則はないけれど、もっともっと大切に守っていかなければならないなぁ。

おじぎをして鹿せんべいをおねだりするかわいい鹿さんは、神様の使いとして信仰される尊い存在なんだということを歴史から再認識しました。

歴史から考える奈良の鹿_3

奈良の大学に通っていますが、ほとんど専門科目の授業なので奈良に関するものは少なくて・・・。
この奈良ひとまち大学は、奈良を深く考えるきっかけを与えてくれると思います!これからも参加していきたいです。ありがとうございました。