詳細
●レポーター:奈良市在住 かめさん
賑やかな商店街を歩いていると、石段の奥に突然現れる和風の建物。
本日訪れるのはここ、奈良基督教会である。
一見すると教会とは思えない和風の外観。
瓦葺き屋根の頂には十字架が抱かれている。
石段を登って建物に入ると、まず目に飛び込んでくるのはパイプオルガンである。
今回は聞けなかったが、その荘重な音色は祈りの空間を満たすという。
正面には祭壇が置かれ、後ろのドッサルが色を添える。
このドッサルはパイプに糸を巻き付けて作ったタペストリーで、年月を経た味わい深い色味が教会の空気を引き締めているように感じた。
全体の意匠には宮大工・大木吉太郎が社寺建築から学んだ要素が駆使されており、細部までこだわり抜いて作られている様子からは当時の宮大工の細やかな仕事ぶりが伺える。
教会の塀の外には興福寺の三重塔が覗く。
もとは興福寺の境内だった土地に、教会が建っているという不思議さ。
奈良ならではの風景。
この風景を見て、少し前に出会った老婦人のことを思い出した。
彼女は九州の人で、時々奈良に来ているそうだ。
彼女は、「奈良には『気』がある」と言っていた。
「東京にはなくて、奈良にはあるのよ。でも、信じない人にはないの」と。
歴史があるからとか、お寺がたくさんあるからとか、そういうことではなくただ、「ある」。
私があの婦人に出会った、その巡り合わせもまた然り。
理屈でなく、何かに導かれるような感覚。
私はその不思議な何かに引き寄せられて、奈良という土地に来たのかもしれない。
これを縁と呼ぶのだろうかと、ふと思った。
お寺と教会が隣接していたり、教会が和風の外観をしていたり。
そんな意味不明な状況が、案外違和感なく受け入れられてしまう。
和と洋とが融合している様子を目の当たりにし、奈良という土地の不思議さについて思いを巡らせた一日だった。