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●レポーター:奈良市在住 悪魔代表 さん
私が河瀨監督の作品を初めて見たのは、若き日を過ごした地元の町の映画館、京都みなみ会館で当時上映されていた「火垂」でした。
見終わった後、暫く席から立てなかったくらい心に突き刺さった衝撃の作品でした。
あれから十数年、奈良に移り住み、まさかあの河瀨監督の講義を受講する幸運に恵まれることになるとは、当時の私は夢にも思ってはいなかったはず。
京都のFM局で放送されている河瀨監督の楽しいラジオ番組も何度か拝聴し、期待を胸いっぱいに膨らませてのぞんだ今回の「河瀨直美、愛する『奈良』を語る。」でしたが、3つのお話がとても興味深いものでした。
1.表現者として。
河瀨監督が表現者として、何をするのか?何を伝えられるのか?
表現者として、何をすれば戦争はなくなるのか?貧困はなくなるのか?
「生まれてきたことを、良かったと思える世界にしたい。自分の行動、言動でこの奈良から発信していきたい!」と熱く語っておられたのには、非常に感銘を受けました。
河瀨監督とは作る対象・規模が違いますが、私も長年モノ作りを仕事にしており、”こうしたい”、”ああしたい”、”こんな機能を持たせたい”と日々胸に「想い」を抱きながら仕事に向かい合っています。
なら国際映画祭の運営危機に際し、河瀨監督やご友人が奮闘される姿に各方面の方々が共鳴され、支援の輪が広がったと。
頑張っている人を見捨てない「作り手の”想い”が人を動かし、大きな輪になり、ひとつの形を成す」。
表現者って素晴らしいと思いました。
2.足下に美しい物がある。
河瀨監督のご友人である超有名歌手の方と奈良を歩かれたお話しの流れで、その歌手のある曲に河瀨監督がPVを撮られ、森の中の木漏れ日、彼岸花の美しさ、新たに生まれ来る命など、とても綺麗で貴重な映像を見せて頂きました。
河瀨監督が「見えない世界をクローズアップして見える様にすれば、足下に美しい物があることがわかる」と仰った時、私の頭の中で懐かしい映像が浮かびました。
子どもがようやく歩く楽しさを覚えた暖かい春の日に公園を散歩していた時のこと、家の外の色んなことに興味津々な子どもが膝を折って何か地面とにらめっこ。
自分の身体の何倍もの大きな食料を巣へと運ぶ働き蟻達でした。
永遠と続くその行列に子どもが釘付けでした。
その瞬間まで、蟻の存在すら忘れかけていた私でしたが、生まれ来る子供達に餌を運ぶ彼らに、子どもを授かる前には考えたこともなかった「共感?」と言える不思議な感覚がありました。
種は違えど、次の世代へ命を繋いでいく、各々の役割を果たす使命は同じ。
私の足下にも美しい命の営みがありました。
3.幸せを感じる価値観をどこに持っていくのか?
東大寺の蛍復活に尽力されたお話しの中に、「蛍は日が落ちて暗いから、相手を探せる。明るいから見えるのでは無い、暗いからひとつの光が見える。幸せを感じる価値観をどこに持っていくかだ」と、東大寺のご住職が仰ったとありました。
話は飛びますが、東日本大震災のあの日、3.11を出張先の海外でむかえた私。
朝一現地から日本の本社へ電話した際は普通に繋がったのに、午後からは繋がらず変に思っていると、現地スタッフが慌てて私の目の前に来て、私の腕を掴み足早に連れて行かれたのは、食堂の大きなテレビの前。
画面には、あの何とも表現し難い津波の映像が・・・。
とても日本で起こっていることとは思えませんでしたが、奈良の家族や京都の両親、大津波警報が出ていた和歌山県沿岸部の親戚に電話するも繋がる訳が無く、ようやく日本で起こっている大惨事を認識。
現地の上司に「すぐ日本へ帰らせて欲しい」と頼みましたが、原発事故の影響で、日本行きの飛行機はおろか、船さえも出ていないとのこと。
家族の安否も確認出来ないまま、私は途方に暮れるばかりでした。
結局、安否確認出来たのは1日以上経ってからでした。
その経験から、仕事とは言え、家族を残して日本を出ることへの不安が私の中で大きく膨らんでいき、自分の働き方、強いては自分と家族の在り方を考えた末、やはり家族の有事には何日かかって歩いてでも駆け付けられる距離に居たいと働き方を変えました。
家庭を持つまでは「自分の趣味に没頭すること」が幸せ、家族を持ってからは「家族の為にお金を貯めて、いい車に乗りたい、いい家に住みたい」と思いながら働くことがで幸せでしたが、3.11を経験した今は「家族が笑顔で、一緒に居られること」が私の幸せと言えます。
本当の幸せはすぐ自分の側にあったのです。
○まとめ
河瀨監督の講義を受ける前は、映画の話を中心に苦労話や交友録などが聞ける講座と考えていましたが、実際は映画話が軸ではあるものの、河瀨監督の熱い「想い」や、河瀨監督の「幸福論」を聴かせて頂き、自分自身のなつかしい記憶、人生の転機となったことを思い出すことが出来た、とても有意義な時間でした。
河瀨監督ならびに奈良ひとまち大学事務局の皆様に、心より感謝申し上げます。
しかしながら、悪魔代表としましては、やはり好きな映画を見ながら人生を終わりたいです。