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●レポーター:奈良市在住 2020レッドカーペットクラブ会員0218 さん
なら国際映画祭やならシネマテークでよくお邪魔するホテル尾花。
そのルーツである尾花座の歴史を学ぶことができるということで、奈良ひとまち大学に今回初めて参加させていただきました。
授業前半では、尾花座の歴史について教わりました。
大阪は戎橋で旅館を営んでいた中野先生のご先祖。
羽振りの良いお客の話から映画に先見を見出したことが尾花座の始まりとなりました。
映画の隆盛により大所帯となった中野商会。
社員旅行の集合写真から当時の繁栄ぶりが見てとれます。
その後、皇紀2600年を控えた好景気、戦時の統制、テレビの普及による没落など、時代背景に合わせて教わることで、尾花座の歴史を手に取るように理解することができました。
授業後半では、なら国際映画祭の誕生秘話を教わりました。
カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞された河瀨直美監督の一言から始まった、奈良の地での国際映画祭。
自身の経験から、「映像は海を越え、映画祭は人と人の架け橋になる。その架け橋をこの奈良の地で作りたい」そのような監督の思いが、中野先生のルーツと共鳴します。
国際映画祭の経験など誰もない中、何から手をつければ良いのか分からず、唯一具体的に浮かんだものがレッドカーペットでした。
鮮烈な印象をもたらした初回のなら国際映画祭での興福寺・五十二段でのレッドカーペットの演出はここから始まります。
なら国際映画祭といえば、受賞監督への副賞であるNARAtive。
奈良で映画を撮影することができるこの権利は、海外の若手監督にとっては何も知らない異国の地での撮影ということで、今や大きなチャレンジとして捉えられているようです。
2016年にはキューバ人の監督が藤竜也さんを主演に東吉野村で撮影した「東の狼」が話題になりました。
その他にも、近年は国内のユースの育成にも力を入れており、なら国際映画祭は着実に育っています。
最後に中野先生の、「少なくとも60歳まではなら国際映画祭を頑張っていきたい」との声をお聞きし、勝手に安堵させていただきました。
昨年のなら国際映画祭、コロナ禍で様々なリスクがある中で決行いただいたこと、とても嬉しく感謝の気持ちでいっぱいでした。
今回、授業で教わったことで、なら国際映画祭や奈良シネマテークをより好きになりました。
今後も永くファンを続けさせていただきたいと思っています。
この度は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
(できましたら中野先生の続編を心待ちにしています^^)