詳細
●レポーター:奈良市在住 S さん
筆を使って文字を書く経験というと、小学校の書写を思い出す人も多いのではないでしょうか。
現在では墨汁が普及し、小学校でも墨汁を使用した人が多いと思います。
今回の授業で伺ったのは、「固形の墨」についてのお話です。
墨は文字を残すために考え出されたものです。
その歴史は古く、日本では飛鳥時代以前から使用されていました。
木簡を想像していただければわかるように、時を経ても文字の残りがよいです。
そのような墨にたどり着くまでには、時間をかけすぎずに墨を作れる材料や、きちんと文字が残る方法といったことが考えられていました。
現在の炭素と膠でできた墨になるまでの、先人たちの試行錯誤を感じられます。
墨は、その作り方を知っている人が中国から来ることで、日本に伝来しました。
ところが、日本の風土では同じ作り方ではできなかったそうです。
そのため、やはり試行錯誤を重ねたそうです。
例えば、中国では魚の膠を使用していましたが、日本では動物の膠に置き換えています。
このように、墨の歴史では、よりよい墨を作ろうというかつての職人のこだわりが感じられます。
現代においても、墨作りにはこだわりが詰まっています。
気温などにより毎日墨のできが変わるため、日記をつけながら日々工夫を重ねるそうです。
また、墨作りは、他者から影響を受ける部分もあるようです。
日本画家のリクエストに合わせて作ったり、営業先で聞いたコメントを墨作りに還元したりしているとのことでした。
墨作りは、現場の人々以外も関わっている部分もあるようだと思い、墨のなかには多くの人の思いが入っているのだと感じました。
授業では、実際に墨を製作する場所に入らせていただいたり、松壽堂さんの墨を使ったりさせていただきました。
製作場所では、膠を液状に溶かす際、湯せんにする、樫の木で混ぜるといった工夫がなされていることなどを伺いました。
また、墨を使わせていただいたときには、墨の種類によってすり心地や色の出やすさ、色にまで違いがありました。
書いてから時間が経つと、最後に書いた線が他の線の下に沈んでいくという、不思議なことも体験できました。
ご紹介されていた新しい取り組みには、平成の木簡がありました。
平城遷都1300年だった2010年に、未来へのメッセージとして、木でできた葉書に墨で記し、平成の木簡として平城旧跡に埋めてあるそうです。
もともと、日本では墨は寺や役所で用いられた記録用のものでした。
墨で書かれた絵や文字から、かつての日本を偲ぶことができるように、現代の人々の思いも、墨とともに後世に残っていってほしいと思いました。
余談になりますが、今年の正倉院展では、墨・硯・紙といった文房具がまとまって出陳されるそうです。
授業のおかげで、墨というモノの背景を想像しながら展示を見られそうです。
より充実した鑑賞ができることに感謝するとともに、見に行くのがさらに楽しみになりました。
最後になりますが、松壽堂当主の森克容さん、奥様、そして奈良ひとまち大学のスタッフの皆様、墨を知り、墨を通じて先人を感じられる機会をくださり、本当にありがとうございました。