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●レポーター:奈良市在勤 マチルダさん
奈良阪のバス停から歩いてすぐ、住宅地の中に奈良豆比古神社はあります。
まだ西日が射す少し早めの時間に到着しましたが、道路に面した鳥居を抜け、木々が覆う石畳を進むうち、陽射しも和らぎ、すうっと涼しくなりました。
講座は、境内をご案内いただいた後、翁舞のお話を聞き、その後翁舞保存会の方々の練習を見学するという時間割でした。
奈良豆比古神社は本殿の手前に、翁舞が奉じられる舞台「舞殿」があり、その軒は釣燈籠が囲んでいます。
本殿域は、朱塗りの板塀に囲まれた中にこれまた朱塗りの本殿が3神祀られ、向かって右から施基親王(志貴皇子)、平城津彦神、春日王(志貴皇子の子)と並び、背後の板塀内側にはカラフルな壁画もありました。
釣燈籠、朱色の本殿、板塀の壁画、加えて本殿前の狛犬の隣にある「春日社」と彫られた石燈籠など、春日大社とのつながりを想起させる、親しみのわく景色があちこちにありました。
本殿裏には天然記念物・樟(くすのき)の巨樹があります。
写真を撮ろうと仰ぎ見ても、ファインダーに納まらない、想像を超えた大きさで、空の色を覆うように枝葉を延ばしています。
圧倒的な幹囲と背の高さに、この木が千年を超えてこの場に立っている威厳を容赦なく感じます。
さて本殿前で見た舞殿で毎年10月8日の夜に奉納されるのが「翁舞」で、春日王の病気平癒を祈念したのが始まりとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
境内見学の後は翁舞保存会代表の松岡嘉平治さんによるお話をお聞きします。
翁舞の歴史、舞に使う鼓や笛、面や装束などのお道具のお話など、翁舞にまつわるお話を、写真を交え詳しく伺いました。
翁舞は、元々「翁講」という組織で伝承されてきました。
しかし高齢化・少子化の影響でその人数が減少傾向となったため、後継者の養成と保存・継承を図るために「翁舞保存会」としての活動が始まったそうです。
そして氏子により氏神さまへ奉納される古式の舞であった翁舞が、国の重要無形民俗文化財に指定されるまでには様々な苦悩があったのだそうです。
助成すべき無形文化財として、すでに昭和29年には国から選定されていながら、国の重要無形民俗文化財指定が平成12年であることもそれを物語っています。
例えば現在使用している「翁面」を含む能狂言面は、装束や笛・鼓とともに普段は奈良国立博物館に保管されています。
室町時代に作られたとされるものが数多くあり、その保護のための保管で、つまりお道具の一つひとつまでもが、作品として大変貴重であるということです。
地域で守り継いできた能狂言面であるのに、貴重であるがゆえに手元には気軽に置いておけず、現在では、翁舞のたびに借り出して使用しておられます。
あるいは、文化財指定によって知名度があがったことで、遠方からも大勢が訪れ、境内を見学客が埋めたり、近隣からの出演要請も舞い込むようになる、そこまでたどり着く背景には、元は氏神さまへ奉納する舞が、文化財指定によって人に見せるためのものになってはいけないのではないのか、という危惧も大いにあったそうです。
さまざまな葛藤を経て、国の指定を、ようやく受けたのが平成12年であったということで、翁舞保存会の方々がいかに強い思いで「翁舞」を支えて来られたか、そして今も守っておられるかを、松岡さんのお話を伺ってさらに熱く感じました。
そうして、保存・伝承への思いに触れたのち、翁舞保存会の皆さんによる練習を見学させていただきました。
先ほども触れましたが、氏神さまへ奉納される舞であるという本質を真摯に守らなければという気持ちと、一方で保存・継承の面で大きな後ろ盾にもなり得る各種の文化財指定を受けること、このあいだには、多くの葛藤がありました。
指定されること、これはつまり、例えば地域、氏子などの限定的な「私的財」であった、今回で言えば「氏神さまへ奉納する舞」が、ある種の「公共財」としての性質を付与されることを意味し、これは翁舞に限らず、あらゆる文化財指定の背景に、実は存在していた葛藤なのだと気づかされました。
今年もまもなく10月8日がやってきます。翁舞が氏神さまへの奉納の舞であることを厳粛に心に留めつつ、翁舞の保存と継承の歴史を踏まえ、その厚みと重みの中、この一夜がまた継承をひとつ繋ぐ日であることを感じながら拝見したいと思います。