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香花の絶やさざる寺 伝香寺

●レポーター:奈良市在住 椿 さん

毎年7月、はだか地蔵の着せ替え法要が営まれる事で知られる伝香寺さんへ伺いました。
伝香寺は戦国大名の筒井順慶と筒井氏一族の総菩提所で、律宗のお寺です。
今回はご本尊の釈迦如来坐像が安置され、天正13年(1585年)に建立された本堂にて西山明範執事のお話をまずお聞きしました。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

西山さんは唐招提寺にて得度、受戒を受けられ、これまでの経歴を楽しくお話しくださいました。
唐招提寺は鑑真和上の私寺として始まりましたが、共に来日した弟子の思託(したく)律師が住まいとしていたのが現在伝香寺の建つ場所で、元は実円寺というお寺だったそうです。

そののち、順慶が没した際に母の芳秀尼が実円寺の跡を再興し、筒井家の総菩提寺となりました。
奈良三名椿のうちのひとつ、散り椿も芳秀尼が植えたと伝わり、殊に散り様が美しく武士(もののふ)椿とも呼ばれています。
また、ご本尊は奈良の仏師宗貞の作と伝わっていますが、京都方広寺のかつての大仏も宗貞が手掛けたとされ、伝香寺の釈迦如来坐像が所謂試みの大仏であったのでは、とも言われているそうです。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

後半は、はだか地蔵と親しまれている、春日地蔵菩薩立像のお話です。
裸形のお地蔵さまで、7月23日の地蔵会で毎年新調・奉納された御衣の着せ替え法要が有名ですが、なぜ春日地蔵であるのかをご存知の方は多くないかも知れません。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

その理由は、像内納入品にありました。
像の頭部に舎利容器および仏舎利と、木造の薬師如来坐像、脚部に長谷寺式の木造十一面観音菩薩立像、その他にも胸部から経典などが近年の修理時に発見されました。
諸説ありますが、釈迦如来・薬師如来・地蔵菩薩・十一面観音菩薩は春日四所明神の本地とされており、胸部にあった願文の内容からも本地仏として造立された事が判っているそうです。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

また、もともとは春日社と関係の深い興福寺塔頭のご本尊で、明治の神仏分離の際に伝香寺へ移された客仏でもあります。
筒井氏の家祖である順武は神護景雲2年(768年)、河内国平岡より春日の神さまが御蓋山へ御遷座の折に護衛としてお供をされたという伝承があり、何かしら春日社とのゆかりがあったのではと想像が膨らみます。
そして今回は特別に像内納入品を拝見、お地蔵さまと太子像にもお参りさせて頂きました。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

また、西山さんおすすめの江戸時代の書「奈良坊目拙解」(村井古道著)には、伝香寺のある奈良市小川町は、元は子守川町と称され、のちに子川町・小川町となったという町名の由来や、お寺の由緒などが詳しく記され、奈良好きにはたまらない本との事です。

最後に本堂にて筒井家御位牌の御厨子、筒井家の守護神という春日稲荷明神の御厨子も開扉していただき、大変貴重なお話を伺う事ができました。

香花の絶やさざる寺 伝香寺

建立当時の本堂や表門、知らなかった歴史を垣間見ると、まるで芳秀尼の弔いの気持ちが伝わって来るようでした。
これからも菩提を弔う香花が絶えませんように。