詳細
●レポーター:奈良市在住 Q さん
講師の飯田むつみ先生は、奈良で生まれ育ち、子どものころから朝食でほぼ毎日「おかいさん」と呼ばれる茶がゆを食べてきたという方で、「大和の伝統食〝茶がゆ〟を紹介する会」を主宰しておられるそうです。
最初、先生のご紹介を拝見したときに「すごいなあ~。そんな会があるのか~」と驚きましたし、授業テーマを見たときも、「茶がゆって、ソウルフードかな?そんなに食べたくなるものかな?」という、軽い「不思議感」がありました。
それで参加してみたわけですが、結論から言うと、「おかいさん」の味は粥だけでできているのではなく、そして、「おかいさん」は確かにソウルフードだと思い至りました。
それは、おかゆを真っ向から楽しませていただいてわかったことです。
授業では、先生が茶がゆを作りながら、次の順にお話をしてくださいました。
そして、できたてのおかゆをいただき、最後に、道具類を拝見しながら、個別の質問を受け付けてくださいました。
この流れの中で、茶がゆや、茶がゆのおいしさというものがどのようなものかを伺い、その楽しみ方が理解できたわけです。
●茶がゆのつくり方
<前夜から浸しておいたセットに火をつけ、沸騰後10分で「花が咲く」と完成!>
「作り方はこれだけ」と、最初に教えていただいたことです。
セットとは、お米と水を1:10の割合にして、そこに約5gのほうじ茶の粉を入れたお鍋のことです。
この作り方をこれから実証していくということで、ガスに火をつけて、先生のお話が始まりました。
このとき、最も優先すべきことは「簡単に、おいしく!」だと伺い、それでこそおかゆだと、俄然、親近感がわいてきました。
●茶がゆの伝来と発展
茶がゆに火を入れてから、文献にあたって奈良と茶がゆのつながりを歴史的に見るお話を伺いました。
お話から、奈良に住んでいる人々の生活に、お茶が浸透していく様子が想像できました。
また、茶がゆのお茶は、普通、ほうじ茶を使うと言っておられました。
茶色いお茶で煮るおかゆを奈良の人々が当たり前のものとしていたのは、やっぱり、緑茶が発明される江戸末期よりもずっと前から茶がゆが存在していたからだし、煮出して飲むお茶が伝来した奈良時代から茶がゆに関する知識があったからじゃないだろうかと思いました。
そんなことを思っていると、茶がゆが薬効のあるものだという認識が歴史的知識から来ていること、それが連綿と続いて奈良で認識されてきたことに、そして、その知識が名実ともに「大和の茶がゆ」として広く認識されていることに思い至り、何か誇らしいような気持ちも芽生えてきました。
そして、これが奈良の文化というものかな?その歴史の積み重ねが肌で感じられるのが茶がゆなのだなと思うと、なんだか、すごいことだなあという気がしてきました。
●茶がゆ作りの道具のこだわり
先生の子どもの頃の習慣として、前夜に茶がゆの仕込みを行い、毎朝食、できたてをいただいていたというお話を伺った後、一木造りの杓子で鍋底をかき回す、その柔らかさが好きだというお話を聞いたり、茶がゆのためのほうじ茶の粉を、晒を縫って作った茶袋(ちゃんぶくろ)に入れるけれど、それを手縫いするのも楽しいというお話を聞いたりしました。
道具についてのお話を聞く中で、茶がゆに映えるご家族への優しいお気持ちや、手作りの木杓子にこだわりを感じておられる先生のお気持ちに触れ、日常の生活の中の普通のものに備わる何か大切なもので、茶がゆがおいしくできあがるのかもしれないなあと思ったりしていました。
●茶がゆの材料
今回のお米は奈良産のお米で、お水は水道水だけれど、軟水であることからこの味が出せるということや、軟水と硬水やお米の産地で味も変わるので、土地に合わせて微調整が必要になるという注意を聞きました。
宇治や大和のお茶を東京で淹れると、関西で飲むのと味が違うという話をよく聞いていましたので、ほうじ茶が介在するから水の違いがより一層際立って、茶がゆのお味も変わるのだろうかと思ったりしていました。
●茶がゆをいただく
茶がゆの完成は、沸騰して10分経った頃だとのことでしたが、その見極めは米粒に縦に筋が入る「花が咲く」状態だそうです。
タイミングを見極めることがおいしさの秘訣なのだなあと感心しました。
そうして完成した茶がゆは、栗の一木作りの杓子で一碗ずつよそってくださり、一人一人、足つきの御膳の上に、付け合わせと並べてお出しくださいました。
お膳の上には、茶がゆの他に、東寺の弘法市でお買い求めいただいた「手作り」のお漬物と薬味味噌(行法味噌かな?)、奈良漬2種(甘めの山﨑屋のと辛めの森のと)に、先生の手作りの白和えと切り干し大根の煮物もあり、いうなれば、ハレの「朝食」とでもいうような贅沢感が感じられました。
まず、茶がゆをいただいてみると、すっきりしたほうじ茶のおいしいお味と、一粒一粒の粒がしっかり際立っているからこそのお米の甘さが感じられました。
塩分控えめのお漬物と合わせて、さらさらっといただきましたが、その食感は「すっきり、さっぱり、しっかり」というものでした。
「お代わり、ありますよ」「2杯目は味が違いますよ」という声を聞いて2杯目を食べてみましたが、確かに、2杯目になってくるとお茶の色も少し濁ってきていましたし、お米がさらに丸く柔らかくなっていて、とろみが出ていました。
その食感は、まだ「さっぱり」。
でも、「やわらか」でした。
なぜか2杯で充実した感じがしましたので、3杯目は、お隣の方のを覗いて見ただけで済ませました。
3杯目の見た目は、すでにお茶の色も褪せ、とろみも出ているようでしたし、玄米で作ったおかゆみたいな色味で、ご飯もだいぶふやけているように見えました。
おかゆを食べると、とても温まりました。
ただ、その温もりは、ただ熱かったからというだけのものでもないように思いました。
おかゆを2杯いただいただけで充実感があったのは、可能な限りおいしい状態で「おかいさん」を出そうという先生のお気持ち(の温もり)によるものだったのかもしれません。
また、ご家族の皆をいたわる先生のお気持ちをお裾分けいただいたことによる温もりのおかげだったのかもしれません。
そして、できたての茶がゆのおいしさは、確かに、毎日食べたくなる味でした。
歴史が積み重ねられた厚さと、それを連綿とつないできた人から受ける思いやりの温もりがあるからこそ、食べるとほっこりするわけだ!と、改めて、茶がゆのおいしさ・楽しみ方を理解したように思います。
ソウルフードというと、最近では、食べるとホッとする食べ物の代名詞ともなっているようですが、奈良の暮らしの中に深く根付いている「おかいさん」は、どこの地域の方でも食べたらほっこりするという点で、大和の、いえいえ、みんなのソウルフードと言えるのだな!?と、授業に参加して納得できました。