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●レポーター:奈良市在住 アリスママ さん
「梅の花 優しく薫る大和にて 愛につつまれ 君うまれたもう」
奈良産まれ奈良育ちの娘も10歳となり、家庭科の授業も始まりました。
そんな娘に何か郷土の味を伝えてあげられないかなあと思い、この企画に参加いたしました(*^^*)
今回の授業は、国の登録有形文化財に新たに加わった「ならまち」の南にある、ほっこりする中庭や床間もある貸町家「木屋・KIYA」さんで行われました。
懐かしい縁側から入り込む穏やかな日差しが、初めて集う参加者さんの自己紹介を和ませてくれていました。
この日は奈良の若草山の山焼きが行われることもあってか、ご夫婦や大阪からの方などもおられました。
奈良に住んでいてもまだ茶粥を食べたことのない方、お母様の出身の奈良の味を食べてみたい方や、近くにあった茶粥のお店の味を忘れられない方など、それぞれの思いで参加されていました。
子育てがひと段落された飯田むつみ先生が、食卓が家族や子どもたちにとって重要な団欒となっていることに気付いて奈良の伝統食を紹介したいと思われたこと。
また、お友達から茶粥のお店を聞いたことが、ご自身で茶粥を紹介する会を立ち上げるきっかけとなったとのお話もいただきました。
自己紹介も終わり、寸胴鍋に火を入れ煮立つまでの間に、お茶や茶粥の歴史についても学べました。
諸説あるようですが、シルクロードを経て中国より漢方としてお茶が献上されたのが始まりと東大寺要録に記載されているそうです。
そんな貴重なお茶が、奈良時代には行基菩薩が全国を訪れた際に食彩として庶民にも茶粥を広め、平安時代には空海がお茶の種木を中国から持ち帰ったとされ、鎌倉時代には西大寺の叡尊上人が病気の方々にお茶を薬として用いたり飢餓で苦しむ方々にお粥を施(ほどこ)したそうです。
また、奈良に春を告げる東大寺二月堂の修二会のお水取りの連衆も、業から宿舎に戻られた際には茶粥を食べているそうです。
長い業であるためお米は八分ぐらいの硬さでおひつに上げておいて、業から戻られた際に再度合わせて出されるそうです。
茶粥が奈良の伝統と脈々とつながっているコトに思いを寄せると共に、お茶の葉の下に溜まるお茶のかけら(粉)を「始末する」考え方や、奈良でよく取れた米に水を加えたシンプルな食材に、先生がおっしゃられた「質素倹約」の精神が実は奈良の真の県民性であり、行基菩薩に始まり秘めた思い遣りが詰まったモノが茶粥(おかいさん)なのではないのか・・・と、授業を通じて学ばせて頂きました。
奈良県民は「勤勉・早起き・倹約家」ともおっしゃっていました(なるほど)!!笑
作り方のポイントとしては、粘りを防止するために沸騰したら2~3回泡を掬い取る点、お米に縦の線が入ってくる(花が咲く)のを確認して火加減を調整する点や、茶袋は様子を見て途中で上げても最後まで入れておいても良い点など、決まり事はなく、それぞれの家庭の味で作って良いことも教わり安心いたしました。
吉野は林業が盛んで汗もかくため、塩分を加える地域もあるそうです。
加えて道具への先生の想いにも感動。。。
木じゃくし師さんが吉野の方にもいらっしゃらなくなり、納屋から出てきたモノを頂いて何度も湯通しされて蘇らせた木じゃくしの実物からも先生の想いが伝わってきました!
飯田むつみ先生の茶粥をいただいた感想は、サラサラとした中に絶妙なほんの少しのとろみがあり、1杯・2杯と味の変化がありました。
先生が子どもの頃に、沢山の方々のためにお父様から「むつみ、しかけといて」と前の晩からお手伝いされていた年月があるから出せる味なのだろうと思いました。
茶粥はシンプルなだけに付け合わせの食材を楽しめて、今回も味の違う2種類の奈良漬けや、とっても美味しかった龍美堂の行法味噌(東大寺ミュージアムでも購入出来るそうです)などを一緒に頂きました。
本当に「ほっこり にっこり ごちそうさん」(*^^*)
今回、学んだ翌日に早速、娘と私の故郷である加賀棒茶(ほうじ茶)をすり潰してお茶粉を作り、茶粥を作りました!
結果は、先生が授業で話されていた「京の白がゆ 奈良の茶粥 河内のどろぐい」の「茶粥とどろぐい」の中間となり、サラサラとはほど遠い状態でした。笑
今日はお米をコシヒカリから奈良県産ひのひかりに替えてリベンジ中です^^
プチ反抗期中の娘と我が家の茶粥の味に仲良く奮闘中♪
最後になりましたが、こんな機会を与えて下さった飯田むつみ先生と、大立山まつり2020でお忙しいなか企画いただいたスタッフの方々に感謝申し上げます。