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●レポーター:奈良市在住 たつや さん
興福寺で、興福寺執事長の辻明俊さんのお話を伺いました。
境内を歩きながら直接お話を伺える貴重な機会でした。

北円堂では東京国立博物館で開かれていた特別展から仏像を戻す開眼法要が行われていました。通常は閉じている扉が開かれており運慶による弥勒如来坐像がうかがえました。
八角形の建物は霊廟を意味し興福寺を創建した藤原不比等が平城京を一望できるようにと高台の境内で最も見渡しのよい北西角地に建てられたそうです。

三重塔は内部の壁には仏の絵が描かれているそうで、VRで体験できるようにされていました。
最近、木を剪定して、周辺の憩いの場となっている猿沢池から塔を見えるようにされたそうです。すぐに伸びてくるそうで授業中もちょうど剪定をされている最中でした。
授業後に猿沢池を歩いてみると、たしかに池の東側から見ることができました。五重塔が工事中で覆われていますので、三重塔だけでも見えるのは嬉しいです。

三重塔から東にあるくとお地蔵さんが並んでいます。
元々は今の奈良地方裁判所があるあたりが興福寺の土地だったときに、そのあたりの祠にあったものだそうですが、陽があたり人々の往来がある現在の場所に移設されてからお地蔵さんの表情がまるで人の願いを聞き入れるようにはっきり見えるようになったのだそうです。
お話をされている最中に鹿の群れがやってきて、お供えのお水を飲んでいたのが面白かったです。こういったほのぼのとした雰囲気も奈良らしさを感じます。(その都度整理をされるのは大変でしょうけども・・・)

南円堂は木造の八角系の建物としては日本最大だそうです。
空海が関わったと伝えられている南円堂の中には、運慶の父である康慶による不空羂索観音菩薩坐像などが安置されています。

通常、お寺の建物は南を正面とすることが多いですが、南円堂は東を向いています。この先には春日大社があり、神鹿にのって仏の姿で神がやってきた事を示すように不空羂索観音菩薩坐像にも鹿のモチーフが取り入れられています。
以前見たことのある、春日鹿曼荼羅図を思い出しました。
中金堂は焼失後長い間仮堂となっていたものを2000年に解体し、最近建て直されたものです。
大規模な木材の建築は建築物に相性の良い木材の確保が難しいのだそうです。
7万枚もある瓦はその重量だけで230トンもあるそうですので、それを支える建物がいかに頑丈さを求められるか、ということがわかります。

最後は五重塔です。1426年に再建されたものが現在の建物ですが、50mあり今も奈良で一番高い建物です。
構造としては心柱とよばれる大きな柱が1階から最上部まで貫いており、その周りを5層の屋根で囲っているような構造となっているそうです。
この構造は地震の際に、それぞれの層が交互に動くことで揺れを打ち消しあう働きをして、地震に強いそうです。
現在のビル建築の制震構造も似たような仕組みと考えると、古い時代に早くもこういった知恵があったことに驚きました。

五重塔で現在おこなわれている修復工事では様々に傷んでいる個所を修復されていますが、その中でも特に大きな工事となるが、大斗と呼ばれる屋根を支える部分だそうです。大斗はその支える重量からつぶれるように損傷しており、これによってわずかに北に傾いているそうです。
これを直すために、2層から上の部分をまるごと持ち上げて、大斗を修復するという工事をされるそうで、持ち上げる重量は600トンにもなるそうです。
大切な五重塔を壊さないように慎重に、かつこれだけの重量のものを持ち上げるというお話に、覆われている内側ではそんな大工事をしていたのか、と驚きました。

今まで知らなかったことをたくさん知れたとてもありがたい授業を振り返ってみると、特に2つの点が私の心には残りました。
ひとつは、建築物としての学びです。
五重塔に注目すると、制震構造の大切さ、建物を傷めないために特に軒を大きく外に出されているそうです。すごく昔の時代にすでにこういったことを考慮した建物が建っていて、そしてその100年後には七重塔も
出てくるというお話を伺って、当時の建築技術の高さに感動しました。
そしてそういった考慮があったからこそ、今も歴史のある建物が存在しているのだとありがたく感じました。

もうひとつは、興福寺の想いです。
興福寺は1181年にあった南都焼討によってほとんどが消失し、奈良時代の建物が直接のこっているところはないそうです。
にも関わらず、たくさんの建物が境内には存在しています。
消失や破損があるたびに、当時の人の気持ちや考えによりそってなるべく再現する形で、再建や修復をされてきたそうです。
修復には多額の費用もかかりますが、興福寺は開放されており、自由に人が出入りしています。これは相当な想いがなければできないことだと思います。
近くに住む者として五重塔を奈良のいつもの風景として眺めてきましたが、それがあたりまえではなく、こういった力強い想いのもとに成り立っていることにあらためて感謝し、興福寺はもちろん、興福寺以外の奈良の大切な風景や日常を守っていきたいと感じました。
