奈良を盛り上げた「平城遷都1300年祭」も終盤を迎え、この授業を逃すと一番の功労者であるせんとくんのダンスレッスンを受講する機会はないと思い、参加しました。
JR奈良駅前広場に到着すると、せんとくん応援ソング『せんとくんなら知っている』が聞こえてきて、周りの参加者の方の気分もすでに盛り上がってきているようでした。
授業は、平城遷都1300年祭オフィシャル広報隊「平城人」代表 田辺秀行さんの挨拶、せんとくんダンサーズの紹介から始まりました。
そして参加者の呼びかけとともに、ついに生せんとくんが登場!テンションも一気に最高潮になりました!!

せんとくんと田辺さんの絶妙な掛け合いを楽しんだ後、ダンスレッスンがスタート。

駅前でのダンスレッスンということもあり、当初は気恥ずかしさもあったのですが、平城人のメンバーさんがダンスを丁寧にわかりやすく教えてくださったので、ダンス初心者の私でも楽しんで受講することができました。

ダンスを楽しみながら覚えた後、最後は階段の広場でせんとくん・せんとくんダンサーズと並んで踊り、先生・参加者ともに盛り上がりました。また、周りの見学者の方の中には、音楽にあわせて一緒になって踊ってらっしゃる方もいました。

授業終了後は、せんとくんとの記念写真撮影会となり、ダンスレッスンとあわせて忘れられない体験となりました。

せんとくんと直接、長時間接する機会はなかなかない体験であり、スペシャリティーを感じる、楽しく盛り上がれる授業でした。特別な体験ができる授業を今後も楽しみにしております。
おまけ


2010年12月29日(水)~2011年1月3日(月)を休業とさせていただきます。
お問い合せメールは上記期間も受付しておりますが、回答は2011年1月4日(火)以降になりますので、
ご了承ください。
2010年9月5日に開校した「奈良ひとまち大学」。
今年は、みなさまに大変お世話になりました。ありがとうございました。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎えください。
2011年も、奈良ひとまち大学をどうぞよろしくお願いいたします。
奈良で日常を過ごしていると、鹿は身近な存在であまり深く考えたことがなく、もっと知りたいと思ったので今回の授業に参加させていただきました。
野生の鹿は古代から生息していましたが、角が毎年生え変わり成長していくことを、「甦り」や「豊作祈願」の象徴として、弥生時代には霊獣視するようになりました。

鹿島神宮の神様が白鹿の背に乗り三笠山にやって来られたという説話もあるように、平安時代には奈良の鹿は神鹿として扱われていたことが分かります。
鹿を見ることは吉徴とされましたが、その反面、鹿を殺傷すると重罪人として処刑されることもあったようです。
特に印象深かったのが、三作石子詰め伝説。
三作が習字をしていたところに鹿がやって来て、草紙を食べてしまった。それを追い出そうと投げた文鎮が鹿に当たって死んでしまう。
当時、鹿を殺すことは大罪だったので、三作は生き埋めにされてしまった。これを悲しんだ母親がその塚の傍に紅葉の木を植えた。
そしてここから鹿と紅葉の組み合わせが生まれたとも言われます。こんな悲しい話があったなんて・・・。(興福寺の菩提院が三作の塚のある場所です。)
神鹿を政治的道具に用いた例として、戦国武将の織田信長や豊臣秀吉、徳川家康の名前も文献に見られます。
(信長:京都へ神鹿を運ぶ←重罪、秀吉:鹿を寄進する、家康:禁制の朱印状を発給する)
ほととぎすの句と同じように、三者三様で面白いなぁ。

江戸時代になっても鹿に関する罰則はあったようですが、同時に観光資源としての鹿という一面が表れます。
鹿せんべいが売られ始める、南都八景の一つにも数えられるなど。
事故や食害の被害を防ぐため、1671年に角きりが始まりました。もともと奈良町で行なわれていたということで、町家の格子は鹿格子とも言われるそうです。
現在、角きりは鹿苑で行なわれていますが、私はまだ行ったことがないので来年こそぜひ・・・。
今回の授業は江戸時代までで終了。こうした歴史の上に、現在の人と鹿の共存関係が築かれているのですね。
鹿も大切に扱われたり、時には政治的に利用されたり大変だったんだ。今は三作のような罰則はないけれど、もっともっと大切に守っていかなければならないなぁ。
おじぎをして鹿せんべいをおねだりするかわいい鹿さんは、神様の使いとして信仰される尊い存在なんだということを歴史から再認識しました。

奈良の大学に通っていますが、ほとんど専門科目の授業なので奈良に関するものは少なくて・・・。
この奈良ひとまち大学は、奈良を深く考えるきっかけを与えてくれると思います!これからも参加していきたいです。ありがとうございました。