赤膚焼、土・炎・心、伝統を受け継いで
2013.12.22 | 授業 | by Staff
授業の様子は、「ひとまちレポート」も併せてご覧ください♪
「赤膚焼がより魅力的に見えるようになりました」
http://nhmu.jp/report/16907
4年前に先代のお父様が他界された後、8代目を襲名した古瀬堯三さん。
窯を駆使して、先代たちから受け継いだ伝統技術と精神を土台に、オーストラリアでの美術・陶芸の留学経験を生かして赤膚焼に取り組まれています。
12月22日の授業「赤膚焼、レボリューション! ~伝統工芸を受け継ぐ女性作家~」での堯三さんのお話で印象に残ったこと。
現代では陶磁器を焼成するときに、窯に温度計を設置する陶工が多いなか、堯三さんは2昼夜半の間、1300℃の炎の色を見て判断し「挿し木」をされるそうです。
先代から「目で見て体で覚えろ」「窯の機嫌を伺いながら窯の目を見ろ」と叩き込まれ、温度計を入れると怒られたそうです。
「上の口を閉めろ!下の口を閉めろ!(口=空気穴)」と言う先代の厳しい声を聞きながら見極め方を習得され、その手法を忠実に守られておられます。
先代と親交が深かった薬師寺住職の故 高田好胤さんは、その窯の目をのぞいて「灼熱の透明の世界」と表現し、「光に吸い込まれるみたいだ」と語ったといいます。
陶工と炎との真剣勝負を感じました。
また、焼き物に使われる粘土の扱い方を伺った際には、「土も生きていますから」「土に食べさせてもらっている」「心が揺らぐと土が反応してくる」「眠っていた粘土を作品にして世に出す」など、土をまるで生き物のように自然に話されていて、赤膚焼の窯元で代々受け継がれてきたのは、単なる技術ではなく、製陶への姿勢であったり、土・素材に向き合う感性なのではと思いました。
先代が亡くなられて後を継ぐにあたって、旧来から「女の人は窯を焚いてはいけない」と言われていたけれど「そんなことは言ってられない」と、自らを奮い立たせて後継したそうです。
しかし、そんな気丈な8代目ですが、唐招提寺の庭にある先代作の蓮鉢を見ると「父に会いに行くみたいで、うっとなる」と目を細めてらっしゃいました。
作品の出来に生活が懸かっている以上、いったん窯に火が入ると、そこからはプレッシャーと安堵の繰り返しでほとんど眠れないと言います。
焼き上がりを見たら、ようやく熟睡できるそうです。
今では、平常心で坦々と同じ調子で同じモノを作ることの難しさを改めて感じているそうです。
赤膚焼で定番と言えば「菊長の皿」等ですが、最近では、生活様式の変化にあわせて、コーヒーカップ・マグカップなども制作されているとのことでした。
また留学先のオーストラリアでは、コバルトブルーの器を多様に用いて日本庭園を表現するなど、器の肌模様を決める釉薬についても、家にあるものでどんな色が出るか、表情が定まらないものを日々探究・冒険してきたそうです。
形状も、陶器でいかに柔らかい感じを出そうかと愛犬をモチーフに制作されるなど、斬新な試みに挑戦されています。
そんな創作意欲に溢れた8代目古瀬堯三さんですが、今後も歴史ある素朴な奈良の風土で、古くからつながりのある寺院などに作品を納めていくとともに、地元に愛される窯にしていきたいと抱負を語られていました。
その後、今回の授業をきっかけに赤膚焼の菊長の皿を使ってみました。
素朴な菊模様のお皿なのに、お刺身や一品料理を乗せると食卓が引き立ちます。
堯三さんが「陶器は懐石と同じ、何かと合わせて使って完璧になる」とおっしゃっていた意味がわかった気がしました。
(やまたろ)